タイ語との出会い (インタビュー)

今回は、大学でタイ語を専攻した朴苑善さん(言語文化研究科、言語社会専攻、博士前期課程2年)にタイ語学習についてインタビューを行いました。

Q:初めてタイ語を勉強した時のことを教えてください。
A:タイ語を勉強するようになったのは大学1年生の頃です。私はタイ語を専攻していました。授業で初めてタイ文字を見たときは、とてもびっくりしましたね。「記号」、「絵」のように感じられたからです。とてもふにゃふにゃしていて、どの文字もなんとなく似たような印象を受けました。果たして私がこの記号のようなものを理解できるのだろうかとも思いました。タイ語の発音に関しては、とても柔らかく、可愛い印象を持ちました。

Q:タイ語はどのような言語なのでしょうか?
A:まず、タイ文字が存在します。日本語と同様に、母音と子音がありますが、それらの数は圧倒的に多いです。また、特徴として、母音を表す符合を子音の左右上下に付けます。左右上下のどの位置に付けるのかは、母音によって異なります。例えば、「◌ะ(a)」は、子音の右に、「 ิ(i)」は、子音の上に付けます。また、タイ語には5つの声調があります。ただ、同じ声調記号を用いても、子音の種類によって声調記号が表す声調と実際の声調が異なることがあり、とてもややこしいです。はじめはとても混乱していました。

Q:どのように勉強されていましたか?
A:基本的には授業で勉強したものを家で復習していました。まずタイ文字を暗記し、単語もたくさん覚えました。初めてタイ文字を見た時は、似たように感じられたものも自然と区別できるようになっていったのを覚えています。タイ語の電子辞書がないことから、紙の辞書にはすごく頼っていましたね。さらに、パソコンでタイ語が打てるようにタイ語専用のキーボードも購入しました。また、箕面キャンパスにはタイ人の留学生がたくさんいたので、かれらにタイ語を教えてもらっていました。タイ人の留学生は日本語がとても流暢で、タイでは日本語を学ぶ人がとても多いことも知りました。かれらと交流する中で、私もかれらが話す日本語みたいにタイ語を習得したいと思うようになりました。

Q:タイ語を勉強する中で、最も難しい/簡単だと考える部分は何ですか?
A:難しいと考える部分は、やはり文字だと思います。区別できるようになったとはいえ、今でも混乱することがあります。また、文章を読んでいる時、タイ語は分かち書きがないので、どこで区切れているのかよく分からない時が多々あります。日本語の場合、漢字と併用されていることから、単語と単語の切れ目がはっきりとわかるのですが、タイ語は分かりにくいです。これを克服するためには、まずは彙力を増やすことしかないと考え、単語をたくさん暗記しました。また、文章を読むときは、接続詞を一生懸命探しています。反対に、簡単だと感じる部分は文法です。活用表現がないことから、この部分は楽です。

Q:タイ語の魅力を教えてください。
A:タイ語を勉強していると、タイ語とタイの文化や国民性とが結びついていることを感じる時があります。大学3年生の時に、タイ(チェンマイ)に留学した経験があります。その時、「ไม่เป็นไร(マイペンライ)」という言葉をたくさん聞きました。この言葉は、「大丈夫」を意味しています。私が考えるに、タイの国民性として、のんびりとした性格の人々が多い印象があります。物事をポジティブに捉え、マイペースに生活することからも、この言葉をよく耳にした気がします。個人的にはとても素敵な文化だと感じています。また、国民性とは関係ないのですが、タイ語の挨拶「สวัสดี ครับ/ค่ะ(サワディクラップ/カー)」は、「こんにちは」でもあり、「さようなら」も意味します。会った時も別れ際も同じ言葉を使うことが初めは不思議な感覚でしたが、今となってはとても好きな言葉となりました。

Q:タイ語を勉強されている人々へ何かアドバイスはありますか?
A:新しい言語を勉強することは、新しい文化や人々に出会える場でもあると考えます。そのような意味で、勉強した言語を実際に使える場に足を運び、実践してみることがとても重要だと感じています。機会があるのであれば、学んだ言語を旅行や留学で使ってみるのも良いと思います。タイ語に関しては、始めは文字がややこしいので、混乱するかもしれませんが、慣れたら意外とできるものだと感じるようになります。私もまだまだ不十分なので、これからも頑張って勉強していきたいです。

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http://el.minoh.osaka-u.ac.jp/flc/tha/index.html

中文和我

 我第一次接触中文是在小学二年级的时候。父亲热衷于教育,受他的影响我开始跟一个中国留学生学习中文。那时候,我也曾怀疑自己连汉字都写不好,为什么我要学中文。当时,我学会了拼音(中文发音表记法),背诵了日常生活中使用的单词。“你好”之后记住的单词就是“冰淇淋”,那时候比起背诵基础单词,我更想记住自己想知道的中文单词。背诵的时候,我喜欢做原创单词本,一边按类别整理一边学习。此外,我背过唐诗,也记过童谣,可以说从小就在快乐地学习新语言。
 真正开始学习中文是在大学的时候。在那之前我所有的中文学习都像是“娱乐”性质的,所以我选择进入大学中文专业,想好好学习中文语法,以便掌握在社会上也能使用的中文。中文的语法和日语相比,给人一种比较简单的印象。其中我认为中文没有“活用表现”就是最大的原因。在表示否定的时候,把“不”、“没”这个词放在动词或形容词前面就好了,在表示过去的时候,基本上把“了”这个词加在句末,就可以表示它们的意思了。和存在各种动词活用的日语相比,我觉得中文语法是可以简单掌握的。
 大学的课程主要是学习“阅读,写作”,“听力,口语”主要靠自己在课外多加练习。首先,关于“听力”部分,我是一边看中国电视剧和电影一边学习的。因为电视剧和电影中播放的中文速度太快了,所以我会反复按停止和播放按钮去看。还有,我会通过中文字幕,一边追着字幕一边理解。如果有喜欢的表达或者不明白的表达的话,就随时把它们写下来。我最喜欢看的电视剧是台湾翻拍的日剧《流星花园》。因为我已经看过日本版了,知道了内容,所以可以更加集中精力关注他们的对话。另外,在电视剧上还可以学习课堂上不怎么能接触到的年轻人的日常表达,这种学习方法也可以提高学习中文的动力。并且,在台湾使用的中文跟大陆的普通话的发音稍微不同,也有助于我理解中文的多样性。
 在“口语”部分,我积极地和会说中文的朋友用中文交流。另外,为了掌握地道的中文,我还努力去理解在课堂上和电视剧中学到的单词在实际场合的用法。我说的虽然不是完美的中文,有时候会感到害羞,但我觉得不用太在意这些事情,要尽量用中文和朋友聊天。
 第一次接触中文的是小学的时候,从那时开始学拼音,我几乎没有觉得发音特别难。但是,我也遇到了各样的困难,比如,日语的汉字有时和中文的汉字意思不同,它们会让我混乱。例如,中文汉字的“走”是“走路”的意思,而日语中的汉字“走”确是“跑步”的意思。如果是日语母语话者的话,看到中文的“走“,就容易联想到”奔跑“。另外,日语中的“歩”跟中文的“步”在写法上也稍有不同。不管哪种语言,在学习新语言时,母语自然会产生干涉。
 我在学习中文的时候,一边品味上述的微妙的差异一边学习到了知识。对于两种语言中不可思议的差异性,以及为什么会产生这种差异性,我并没有消极地对待,而是积极地接纳了。另外,通过中文和大家产生联系的时候,我感到十分幸福,学习的动力也提高了。注意到中文和母语的不同,快乐地学习,以及通过语言学习和他人产生联系,是我在学习中文时最重视的事情。

(太田真実)

ディクテーションとシャドーイングを組み合わせた効率的な言語学習

 皆さんは外国語を学ぶ時、話すのが恥ずかしい、ミスをするのが怖い、文法と発音の問題で笑われるのが嫌い、などと思うことがありますか。言語学習の初期段階ではこのように思うことがよくあると思いますが、この段階での、「通じればOK」という考えは学習者に勇気が与えられるので、有効であると言えます。しかしながら、段々レベルアップしていくと、例えば、日本語歴6年半の私にとっては、通じるだけでは不十分で、できる限りネイティブに近づけるように努力していきたいと考えるようになりました。
 ご存じの通り、ネイティブに近づけるには、「リスニング能力」と「スピーキング能力」が必要です。ここで、リスニング練習とスピーキング練習に効果的なディクテーションとシャドーイングを組み合わせた効率的な言語学習法を皆さんにシェアしたいと思います。

ディクテーションとシャドーイングとは?
 ディクテーションとは、読み上げられる音声を書き取ることです。
 シャドーイングについて、玉井(1997)の定義を引用します。シャドーイングとは、「聞こえてくるスピーチに対してほぼ同時にあるいは一定の間をおいてそのスピーチと同じ発話を口頭で再生する行為、又は聴解訓練法です」(玉井1997)。シャドーイングは本来同時通訳養成の訓練で使われている基礎訓練法の一つですが、「聴く」と「喋る」が同時に鍛えられる語学勉強法としてもよく知られています。

リスニングの強化、スピーキングの強化、語彙力強化
 次は、このディクテーションとシャドーイングを組み合わせた学習法の具体的な効果、リスニングの強化、スピーキングの強化、語彙力強化をご紹介します。
 繰り返し聴く、繰り返し喋る、また聴きながら喋るという作業も何度も繰り返されるので、自分の耳、口、舌が徐々に慣れてきます。このように、口の開き方や舌の位置を実際に発音したときの感覚で・理解・記憶するようになります。
 語彙力の強化ですが、シャドーイングすることによって、個々の単語レベルではなく、フレーズ、文レベルの表現が記憶に残ります。例えば、「大学進学を希望するまで意欲を取り戻したAが学習習慣を身につけていく土台となったのが、生活習慣の確立です。」という文ですが、意欲、取り戻す、習慣、身につける、土台という個々の単語ではなくて、意欲を取り戻す、習慣を身につける、土台となったのは…ですのような使い方をひとまりで身につけることができます。

ディクテーション・シャドーイングの手順
 私はシャドーイングにディクテーションを合わせた方法を使っています。ではこの学習法の具体的な手順をご紹介します。
1. 動画選定(ニュース、ドキュメンタリー、ドラマ、アニメ、バラエティー番組など、モチベーションをアップできるような動画ならなんでも良い)
2. ディクテーションする。(オリジナルの再生速度での音声を聞きながらディクテーションする。このステップにはある程度時間がかかります。慣れてきたら、動画内の全部の内容ではなく、自分がうまく使えない表現だけをディクテーションするのがより効率的!)
3. メモを取る。(聞き取りにくい部分、気になるところを箇条書きにする。表現の意味がわからないままシャドーイングするのはNG)
4. 本番 ▶ シャドーイング。(モデルのイントネーション、アクセントを意識しながら、シャドーイングする。*録音することが大事。第三者の立場で、自分の声を客観的に聴くことを通して、自分の長所と短所がすぐわかり、より良い発音へと向上させることができる。)
 ・一段階:テキストを見ながら繰り返しシャドーイングする。
 ・二段階:テキストを見ずに繰り返しシャドーイングする。

 言語学習というのは長い長い道のりで終点がありません。ただ、毎日、毎週積み重ねていくとすごいことになります。ぜひ自分の目標言語を対象にして、実践して、一緒に言語能力を上げていきましょう!

参考文献:
玉井健(1997)「シャドーイングの効果と聴解プロセスにおける位置づけ」.『時事英語学研究』(105-116)

(蘇暁笛)

現地に溶け込んで言語を取り入れる ―バリの田舎での言語体験②-

 前回のコラムにて、インドネシア語もバリ語もわからない状況に置かれた私は、辞書を片手に黙したと書いた。その理由だが、大きく分けて2つあった。1つ目は単純に話すことができないということと、2つ目は周囲の言葉を聞くことに徹していたからだ。この作業をする際に、私はバリ語とインドネシア語という2つの言語のどちらを優先して習得するかを決めなければいけなかった。
 そこで私は、基本的にはインドネシア語を優先的に習得するようにした。なぜなら私に対して多くのインドネシア人はインドネシア語で話しかけ、多少わからなくても辞書等で参照できたためである。また、単純に文法や語彙がバリ語と比べて簡単だったので習得が容易だと判断したためである。
 例えばインドネシア語で「enak(エナック)」という言葉がある。辞書通りの意味合いなら、「おいしい」なのだが、日常的には「いいね!」という意味合いで食事以外にも頻繁に使用する。靴や服のセンスを褒める時、状況が自分にとって好都合なものに関しても「enak」という言葉を使用する。そして、現地のひとびとが私の物を指さし、「enak」というのをどのように口調で使っているのかもジッと見て聞いていた。もちろんこの言葉はポジティブな意味合いが強いので、和気あいあいとした場面で、明らかに私をおだてるように使用する。そして最後に、その様子も込みで、「enak」という言葉をこちらから使用してみて、自分の使い方がおかしくないかを確認する。
 もちろん、これは「enak」に限ったことだけではなく、同時並行で膨大な数の単語やコロケーションを覚えていった。朝食の場面や会議の場面等で過去に現地の人々が使用していた言葉をそっくりそのまま述べていくのである。つまり、過去に遭遇した同一場面のインドネシア人と同じようにふるまうことを意識したのである。もちろん、その意味はある程度は辞書で調べることができるが、どのようなまとまりで話すべきなのかは過去の記憶に沿って話している。相手の反応が特に悪くなければ、そのまま深く調べず新たな場面での言語習得に努めていった。このようなざっくりしたやり方なので、どこまでがインドネシア語の表現で、どこからがバリ語独特の表現であったのかはいまだに整理ができていない。
また、儀礼に参加する際によく聞くバリ・ヒンドゥーの儀礼にかかわる言葉に関しては、そういうものかという認識でとどめ、厳密に日本語で対訳を求めることをやめた。例えば、「tilem (新月)」という言葉がある。この言葉は暦の上での新月の日を表すものでもあるが、tilemに関わる式典や、その準備に関わることも指す。とにかく意味が「新月」という概念よりも広いのである。その際に、どこまでの行為が「tilem」の概念に入るのか、入らないのかまでは追及しなかった。
このような方法でインドネシア語とバリ語を習得した私だが、この方法だからこその失敗談もある。
 バリ語での失敗エピソードなのだが、ある日、ある教員の真似をしてバリ語で「ご飯を食べる」という言葉を話してみたが、どうも周囲の教員の反応がおかしい。何か間違ったかしらと思っていたのだが、言葉自体は間違っていなかった。しかし、「私が」使うのが間違っていたのであった。
 私はバリでkadek mayumiと呼ばれていて、kadekは次女という意味だが、ただ次女であるだけでなく、平民の次女であることを指す。だから私は平民の使うバリ語を話さなくてはいけないのだが、件の教員が発した「ご飯を食べるは」王族階級の表現だったのだ。つまりその教員は王族階級であったのだ。私が誤って王族階級の言葉を使用したのは、他意はないと周囲の教員は理解してくれていたが、今後使用を続ければ私にとって不利益となると考えたバリ語の教員が、なぜ私が使用すると誤りなのかを、易しいインドネシア語で丁寧に説明をしてくれた。その時、安易に言語を真似たことを反省するとともに、kadekとして周囲の人々が認識し、私がバリの文化の中に溶け込めるように手助けしてくれることが嬉しかった。この時だけではなく、赴任期間中、公的な場面では教員たちが、プライベート場面では大家夫妻が、私が誤った使用をした際には、どういう意味なのか、どういう言葉が正解なのかを教えてくれた。
 様々な失敗は何度か犯したものの、周囲の助けを得ながら私はインドネシア語と若干のバリ語の言語獲得を赴任期間中順調に進め、最終的には業務連絡程度であれば難なく応答できるようになった。言語を習得すること自体も楽しかったが、言語を習得する中で周囲の人たちとの絆が深まりを感じるのも、現地で言葉を獲得する際の醍醐味だった。
(岡田茉弓)

現地に溶け込んで言語を取り入れる ―バリの田舎での言語体験①-

 このコラムを読んでいる皆様の中に、海外に行き、現地のひとびとが何を言っているのかさっぱりわからないという体験をした方は多くいると思う。しかし、その何を言っているかさっぱりわからないという環境の下で、一人で一定期間暮らさなければいけないという方はなかなかいないかもしれない。筆者はそのような体験をした一人である。もしかすると、このコラムを読んでいる方の中に将来的にそのような体験をする人もいるかもしれない。そのために、どのように言語を私が獲得していったのかをこのコラムで語っていきたい。

 私は国際交流基金の「日本語パートナーズプログラム」でバリ島に派遣され、現地日本語教師のALTとして半年間滞在したことがある。派遣期間は半年である。私はバリと聞いて青い海、白い砂浜のバカンスを想像していた。しかし、バカンスとして観光開発されたのはバリ州南部の一部地域で、ほかの多くの地域は現地の方が細々と暮らす地域である。私が派遣されたのは、バリ州東部のクルンクン郡である。クルンクン郡は、オランダ統治前の古き良きバリの伝統が色濃く残る地域である。
 インドネシアはインドネシア語を国語としており、官公庁の文書やテレビや新聞といったメディアではインドネシア語が使用されている。しかし一方で、多民族・多言語国家であり、各民族の言語は私的な領域を中心として広く使われている
派遣前にひと月の研修期間があり、その中で毎日3時間程度のインドネシア語の授業もあった。毎週土曜にはテストがあり、なかなか厳しい研修で、これによって挨拶や基本的な名詞や動詞は覚えて現地に臨んだ。
 しかしながら、ひと月の研修を経て派遣された時、私のインドネシア語の能力は、自分の意思を最低限伝えられる程度であった。最低限というのはどのくらいかというと、「ご飯を食べる」「私は寝る」といったぐらいのもので、大人として最低限のレベルどころか、幼児レベルであったということは察していただけるだろう。そのうえで、現地で私は想定外の事態に出会う。なんと、私が派遣されたバリ州クルンクン郡では、日常会話においてはバリ語の使用がより優勢だったのである。バリ語はバリ・ヒンドゥー教と密接に関連があり、自分の身分に応じた表現とともに相手の身分に応じた敬語の表現がある。そのうえ、文法もインドネシア語に比べ複雑である。また、表記にはインドネシア語のようなローマ字ではなく独自の文字が使われているため、初学者には理解が難しい。
 国語であるインドネシア語は官公庁の文書や出版などのメディアのような公的な領域で使用される一方で、プライベートな場ではバリ語が話されるのが普通である。もちろん、私自身は見た目から外国人だとわかるので、バリ語で話しかけられることはない。しかし、市場や学校の事務室、学生たちの会話の多くはバリ語がメインであった。ホームステイ先の大家夫妻はインドネシア語にバリ語なまりが入ることもあり、聞き取りが困難に感じた。
 周りのみんなは私に話しかけてくれる時にはバリ語からインドネシア語にコードスイッチしてはくれたが、業務連絡を聞く際瞬時に行動できないという場面が何度かあった。例えば、学校の教頭先生が全体に明日の急な予定変更を伝える。周りは同意してその場が収まるのだが、私だけが置いてけぼりになってしまう。もちろん、それぐらい重要な情報なら周りの人に聞けばだいたい教えてくれるが、プライベートな会話ではそうはいかない。周囲がどっと盛り上がるのに、自分だけわからずあいまいに笑っておくしかないのである。頼みの綱のインドネシア語も怪しい状況のため、積極的に質問もできなかった。また、バリ語の中の、伝統的なお祭りに関する語彙の多くは、バリの人々のインドネシア語の中でもそのまま使用されている。そのため、文法はインドネシア語で話していても、語彙の多くはバリ語のため意味が取れないという場面が何度かあった。
 私は英語が通じると思っていたが、英語を習得している人々の多くは南の観光業に携わっている人々で、私が派遣された地域では多くの人は話すことができなかった。学校に行けば現地の日本語教師がいたため、なんとか業務はできたが、ホームステイ先では、英語も日本語も通じず、なけなしのインドネシア語で大家さんと意思疎通をはからなければならない。
 そのような状況下で私は言語習得のために何をしたのか。それは1か月近く「黙した」のである。最近では珍しく紙の辞書を片手にだ。
 どうして私がそのような珍妙な行動に出たかは、次回のコラムで書いていきたい。
(岡田茉弓)