
TAさんによる言語学習についてのコラムの第5弾を追加しました。言語文化研究科D1の陳静怡さんによる「受験勉強の合間にほっと一息、わたしにとっての言語学習の喜びと楽しみ」の中国語版「应试学习中的短暂喘息,语言学习带给我的喜悦和快乐」です。
TAさんによる言語学習についてのコラムの第5弾を追加しました。言語文化研究科D1の陳静怡さんによる「受験勉強の合間にほっと一息、わたしにとっての言語学習の喜びと楽しみ」の中国語版「应试学习中的短暂喘息,语言学习带给我的喜悦和快乐」です。
わたしにとって、言語学習は受験勉強の重圧が伴う学習と違い、バタバタしている日々の中に常に喜びと楽しみを与えてくれるものでした。このように感じているのは、高校での言語学習、特に日本語学習と深く関わっています。ここではわたしと日本語の出会いから、推薦入試で大学の日本語科に入るまでの経験を記述します。読者のみなさんが自らの経験と照り合わせ、自分にとっての言語学習は何かを深く考えることを通して、頑張れる力がみなぎることを祈ります。
<日本語との出会い>
わたしが通っていた高校では英語とは別に第2外国語が選べました。父が当時日中貿易の仕事をしていたこともあり、わたしは日本語を選び、英語とは別に日本語の授業を週1回受けるようになりました。日本語の授業は受験と関係ないため、先生が一方的に教え込む教科学習と異なり、日本語ネイティブの先生を招いたり、文化祭の日本語劇を準備したりすることが多く、常に自由とリラックスの雰囲気のもとで開講されていました。このため、日本語の成績がクラスの後ろから2番目でさまよっていたにも関わらず、高校の授業の中で、わたしは日本語の授業が最も好きで、日本語を喋る自分のことも好きでした。学校ではよくネイティブの日本語の先生と通じない日本語で喋ったり、週末には日本語のドラマを見て話し方を真似たりして、日本語実践を無意識の間でしていました。そして、不思議なことに日本語はきっとよくできるようになるという自信も抱えていました。
<日本語学習の「修行」を楽しむ>
英語はもともと好きで、日本語も好きになったため、高校2年の頃、わたしは推薦入試で大学に入ることを考えていました。特に、日本語学科も悪くはないと思いました。当時第2外国語の日本語クラスでは、せっかく1年くらい学習してきたのだから高校卒業までに日本語能力試験のN2の資格が欲しいという友達がいたので、わたしもN2を目指していました。ほかの教科学習も徐々に忙しくなったため、日本語学習は隙間を縫う感じで行っていました。早起きして6時30分から7時30分まで1時間、誰もいない高校の屋上でN2の試験勉強を半年くらい続けたことは今でも印象深いです。週末にドラマを楽しむ時も、見ながらセリフを書くようになり、気づいたら、なんと「コード・ブルー」のセリフは全部ノートに書いていました。今振り返ってみると、相当大変なことでしたが、当時は全然疲れを感じていませんでした。この頃から、急に周りの人が信じられないほど日本語が上手になりました。
<日本語学習から広がる世界>
高3に入る直前の夏休みに私はN2に受かり、高校の十数科目と日本語学習、両方のバランスがよく保たれていたと感じたため、学習全体に対するモチベーションや自己効力感も上がりました。高3に入った後、私は推薦入試で無事に第一志望の外大に受かり、故郷の地方都市から離れ、北京にある大学の日本語科に入りました。その後も言語学習に関するいろいろなエピソードがありましたが、わたしが自らと言語学習との関わりを強く感じたのはこの高校時代の経験でした。
<わたしにとっての日本語学習>
高校時代のわたしにとって、日本語学習は、受験競争のように他者との横断的な比較という要素が少なく、その代わりに、ネイティブ教師のマンションでのホームパーティー、文化祭の日本語劇、学校の屋上の朝日の中での学習といった経験に満ちており、いつも喜びと楽しみ、そして希望に満ちていたため、頑張りたいと思ったのかもしれません。
わたしの日本語が好きになった理由、忙しい受験勉強の日々を過ごしながらも日本語学習に時間を費やした理由はおそらく、押し付けられた学習が中心だった高校時代、日本語学習だけがわたしの自ら見つかった目標で、自分の意思で決めたことだったからと思います。言語学習を通して、受動的な学習をしてきたわたしは初めて「自己」に関する意識に気づき、自分が叶えたい目標を持ち、学校教育の枠組みの中で自らの目標のために頑張ることができました。このように、わたしにとって、言語学習の経験は言語そのものの学びを超えた力を与えてくれているものであり、今でもわたしの学習と研究全般に影響をもたらしています。
(陳静怡)
TAさんによる言語学習についてのコラムの第4弾を追加しました。言語文化研究科D1の陳静怡さんによる「受験勉強の合間にほっと一息、わたしにとっての言語学習の喜びと楽しみ」です。
TAさんによる、言語学習についてのコラム第3弾をアップロードしました。言語文化研究科D1の太田真実さんによる、「中国語と私」の韓国語版です。日本語版と照らし合わせてぜひご一読ください。
내가 중국어를 처음 접한 것은 초등학교 2학년 때였다. 교육열이 강한 아버지의 영향을 받아 중국인 유학생에게 중국어를 배우게 된 것이다. 한자도 제대로 쓰지 못했던 어린 나는 자신이 왜 중국어를 공부해야 하는지 궁금해한 적도 있다. 그 당시는 병음(중국어 발음표기법)을 외우거나 일상생활에서 사용되는 단어를 배웠다. 내가 “你好(안녕하세요)”라는 인사 다음으로 배운 단어는 “冰淇淋(아이스크림)”이였고, 그 당시는 교과서에 나오는 기초단어보다는 자신이 궁금한 단어를 공부했다고 할 수 있다. 단어를 외우기 위해 나만의 단어장을 만들어 주제별로 정리하는 것에 재미를 느꼈다. 또 당시(唐詩)를 외우거나 중국 동요도 배웠다. 어린 나이에도 불구하고 새로운 언어를 나름대로 즐겁게 배웠던 것 같다.
본격적으로 중국어를 배우게 된 것은 대학생 때였다. 대학교에서 중국어를 전공하여 중국어 문법을 체계적으로 배우고 싶다는 생각이 들었기 때문이다. 사회에 나가서 써도 될 만한 바른 문법의 중국어를 습득하고 싶었다. 중국어 문법은 일본어와 비교했을 때 비교적 간단한 느낌이 들었다. 그것은 활용표현이 없다는 점이 가장 큰 이유라고 볼 수 있다. 부정형에는 “不” , “没”라는 어휘를 붙이면 되었고, 과거를 표현할 때도 기본적으로는 “了”라는 어휘를 문장 끝에 붙이면 된다. 동사에 따라 활용 방법이 다른 일본어와 비교하면 중국어 문법은 아주 쉽게 습득할 수 있었다.
대학교 수업에서는 주로 “읽기・쓰기”를 배웠고, “듣기・말하기”는 수업 외에서 보충했다. 먼저 “듣기”에 관해서는 중국 드라마나 영화를 보며 공부를 했다. 드라마나 영화에 나오는 중국어는 말하기 속도가 빨라 따라가지 못했기 때문에 몇 번이나 되돌리며 보았다. 또 중국어 자막을 보면서 내용을 이해하려고 노력했다. 마음에 든 표현이나 이해가 어려웠던 부분은 바로바로 적어 놓았다. 내가 즐겨보던 드라마는 일본에서 제작된 “꽃보다 남자”의 대만판 “流星花園”이다. 일본판을 본 적이 있어 드라마 내용은 이미 어느 정도 이해를 한 상태였기 때문에 주인공들의 대화에 더욱 집중할 수 있었던 것 같다. 드라마를 통해 수업에서는 접할 수가 없는 젊은이들의 일상표현도 배울 수 있었으며 이러한 학습법은 좋은 동기부여가 되었다. 그리고 대만에서 사용되는 중국어는 표준어(普通话)와는 약간의 차이가 있으며 중국어의 다양성에 대해서도 알 수 있었다.
“말하기”에 관해서는 중국어를 할 수 있는 친구와 적극적으로 중국어로 이야기하려고 노력했다. 또 수업이나 드라마에서 배운 단어나 표현들이 실제로 어떤 상황에서 사용되고 있는지 더욱더 리얼한 중국어를 습득하려고 했다. 자신의 중국어가 완벽하지 않아 창피하게 느낄 때도 있었지만 되도록 신경을 쓰지 않으려고 했던 것 같다.
어렸을 때부터 중국어를 배워 왔기 때문에 중국어 발음이 어렵다고 느낀 적은 없다. 하지만 가끔 일본어 한자와 중국어 한자의 뜻이나 표기 방식이 달라 혼란스러울 때가 있었다. 예를 들어, 중국어의 “走”는 “걷다”라는 뜻이 있지만, 일본어가 모어인 사람이라면 “달리다”의 뜻을 연상하지 않을까 하는 생각이 든다. 또 일본어 “歩”라는 한자는 중국어로 “步”와 같이 표기되며 그 차이를 알아차리기 어렵다. 새로운 언어학습에 모어가 자연스럽게 간섭된다는 것이 이러한 부분에서도 확인된다.
하지만 나는 중국어를 공부할 때 이와 같은 미묘한 차이를 즐기면서 공부하였다. 신기하다, 왜 그렇게 될까 하고 느끼는 것을 항상 긍정적으로 유연성 있게 흡수해 왔던 것 같다. 또한, 중국어로 누군가와 통했을 때 아주 뿌듯한 마음이 들었고 학습 의욕도 향상하였다. 모어와의 차이를 생각하며 즐겁게 배우는 것, 또 그 언어를 통해서 다른 사람들과 이어지는 경험은 언어학습에 있어서 아주 중요하다고 느끼는 점이다.
(太田真実)
TAさんによる言語学習についてのコラムの第2弾を追加しました。言語文化研究科D1の太田真実さんによる「中国語と私」です。
私が中国語に初めて触れたのは、小学校2年生の時である。教育熱心だった父の影響により、知り合いの中国人留学生に中国語を教わることになった。漢字もまともに書けなかった私は、なぜ中国語を勉強しているのかと疑問に思ったこともある。当時は、ピンイン(中国語の発音表記法)を覚え、日常生活で使用される単語を暗記した。「你好(こんにちは)」の次に覚えた単語は「冰淇淋(アイスクリーム)」であり、その時は、基本単語の暗記というよりかは、自ら気になる中国語の単語を暗記していた。暗記する際は、オリジナルの単語帳を作成して、カテゴリー別に整理しながら勉強するのが好きだった。また、唐詩を暗記したり、中国の童謡も覚えたりもした。幼少期ながらに新しい言語を楽しく勉強していたといえる。
中国語を本格的に勉強し始めるようになったのは、大学生の頃である。大学で中国語を専攻したのは、これまでの中国語学習はどちらかというと遊び感覚だったため、文法もきちんと勉強したうえで社会に出ても使える中国語を身に付けたいと思ったからである。中国語の文法は日本語と比較した際、やや簡単である印象を受けた。それは、中国語には活用表現がないことが最も大きな要因だと考えられる。否定を表す際は、「不」や「没」という語を動詞や形容詞の前につければよかったし、過去を表す際も基本的には「了」という語を文末につければ、それらの意味を表すことができた。動詞によって活用の仕方が異なる日本語に比べれば、とても簡単に文法を身につけることができると思う。
大学の授業では主として「読む・書く」を勉強し、「聞く・話す」は授業外で補っていた。まず「聞く」ことに関しては、中国のドラマや映画をみながら勉強した。ドラマや映画で流れる中国語は、とても早くてついていけなかったため、停止と再生ボタンを繰り返し押しながら見た。また、中国語の字幕がつけられていたため、その字幕を追いながら理解するように努めた。気に入った表現や、分からない表現があれば随時メモを取っていた。私が好んでみたドラマは、日本で制作された「花より男子」の台湾版「流星花園」である。すでに日本版を見たことから内容を知っており、かれらが交わす会話により集中することができた。また、授業ではあまり触れられない若者の日常表現も学ぶことができ、この勉強方法は中国語学習のモチベーションアップにもつながったといえる。さらには、台湾で話される中国語は、標準語(普通话)とはやや異なる発音もみられ、中国語の多様性 を知ることにもつながった。
「話す」ことにおいては、中国語を話す友達 と積極 的に中国語を使用しようと努力した。また、授業やドラマで学んだ単語やフレ ーズが実際どのような場面 で使われるのかなど、リアルな中国語を身に着けようとした。拙い中国語で、間違 えることを恥ずかしいと思ったこともあるが、そのようなことはあまり気にせず、中国語話者と話していたと思う。
中国語と初めて出会ったのが小学生で、その時からピンインを学んでいたためか、発音が難しいと感じたことはあまりない。しかし時々、日本語の漢字と中国語の漢字の意味が異なることや、日本の漢字と中国の漢字(簡体字)とで混乱 するなど、様々 な困難 があった。 例えば、中国語の「走」は「歩く」という意味を持つ。日本語母語話者なら、「走る」を 連想しがちであり、混乱 を招きかねない。また、日本語の「歩」という漢字を中国語では、「步」のように書き、やや異なっている。どの言語にも当てはまることだが、新たな言語学習において、自然と母語が干渉してしまうことがあることがここでも分かる。 私は中国語を勉強する際、上で述べた 微妙 な違いを楽しみながら勉強した。不思議だな、どうしてそうなるのかと感じることをマイナスに捉えず、常にポジティブに柔軟 に吸収 していたのかもしれない。また、中国語を通して誰かとつながることができた時、とても幸せな気 持ちになり、学習のモチベーションも向上した。 母語との違いに気づき、楽しく学ぶこと、さらにその言語を通して他者とつながる経験は、言語学習を行う際に私が重要であると感じている点である。
(太田真実)
6月に入り、阪大の活動基準が緩和されましたが、OUマルチリンガルプラザは課外活動に該当し、オープンの予定はまだ分かっていません。
そんな中、OUマルチリンガルプラザにて業務に従事予定のTAさんたちがオープンまでのこの期間を利用し、言語学習についてのコラムを担当してくれることになりました。これまで言語学習の経験や現在の専門を生かした言語学習のヒントなどについて書いてくれます。随時アップロードしていきますので、ぜひご一読ください。みなさんの言語学習のヒントになると大変に嬉しいです。
1. 言語学習に使えるコーパス
外国語を学ぶ時に皆さんはどのようにされているでしょうか?ほとんどの人は、教科書等を使って学習することが多いと思います。教科書や辞書に載っている表現は、いわゆる「規範」から外れていないことがほとんどです。ただし少し学習が進んでくると、教科書や文法書に載っている表現だけが全てではないことがわかってきます。例えば、「時間を尋ねる表現」は、最初に学ぶ時には “What time is it now?” と言う、と教えられることが一般的ですが、実際は “Do you have the time?” と言っていることも多いです。他にも、「アポイントを取る」と言いたい時に “take an appointment”なのか “make an appointment”なのかがわからなくなったという場合にコーパスを検索すると “take an appointment”の用例はほとんどない一方で、 “make an appointment”の場合は様々な媒体からの情報が出てきます。従ってこの場合は “make an appointment”と言うのが一般的だと言うことがわかります (これについては次回やってみましょう)。 初学者から上級者まで、学んだ表現がネイティブスピーカーの世界では実際にどのように扱われているのか気になることがあると思います。そのような場面でネイティブスピーカーが身近にいれば尋ねることができますが、いつもそのような状況にいるとは限りませんし、彼らの意見が客観的なものであるとも言い切れないことがあります。そのようなときこそ、コーパスを活用するのに最も適切な場面の一つであるといえます。
また、辞書や文法書などでは規範的に制限されている語法や表現であっても、実際には頻繁に用いられていることも、コーパスを活用することによってわかる事があります。(to perfectly understand など、to不定詞の間に副詞が挿入されるsplit infinitiveという語法がその一例)、これらは実際のデータや数値によって表されるので、比較的客観性を保ちながら言語の実態について観察することができます。
2. コーパスとは何か
コーパスの定義として石川 (2012) は複数の辞書・研究者たちの考え方を要約し、
「(1)書き言葉や話し言葉などの現実の言語を、 (2) 大規模に、 (3) 基準に沿って網羅的・代表的に収集し、 (4) コンピュータ上で処理できるデータとして保存し、 (5) 言語研究に使えるもの」
としています。つまりは実例が豊富に、かつ、あらゆるデータから満遍なく集積された、データベースのことです。現代の言語を反映したものから、通時的なもの、様々な媒体からデータが取得されたものもあります。
かつては、コーパスといえば、情報量の多さからか英語のものが一般的でしたが、後に紹介する日本語コーパスをはじめ、様々な国の言語をもとにしたコーパスが生み出されており、その使い勝手も良くなっているようです。(例:el corpus del español (スペイン語)、北语汉语语料库(BCC) (中国語)、Национальный корпус русского языка (ロシア語) など。)
3. 言語教育に活かせるコーパス
実際の教育の現場では、「使われることは多いけれども一般的に『破格』と見なされる表現や構文などを辞書に載せてもいいのか、教室で学生に教えても良いのか」という議論があります。そして、それに対してコーパスが問題解決の方針の一つを示すことがあります。特に近年では、「生きた英語」「活用できる英語」が重視されるようになってきているので、ネイティブスピーカーが使っている「中心的な用法」と「周辺的な用法」を区別することは非常に重要になってきているのです。それが辞書に載せる/載せない、教室で教える/教えないという事柄に関わる重要なポイントだからです。このことから、1で述べたこととも関連しますが、近年ではコーパスのデータに基づいて辞書が編纂されることも増えてきています。(コーパス準拠の辞書として代表的なのが、ウィズダム英和辞典、ユースプログレッシブ英和辞典など。: 石川 (2012))
4. 次回:いくつかのコーパスについて実際にさわってみた!
それでは、次回は(比較的汎用性の高いと思われる)誰でも無料でアクセスできる英語コーパスと日本語コーパスについて、実際に少しだけ検索してみたいと思います。(ただし、いずれも書き言葉が中心です)ここでは使用予定コーパスについて少しだけ紹介しておきます。
参考資料
石川慎一郎. (2012) 『ベーシックコーパス言語学』ひつじ書房:東京.
(福本 広光)