楽しく効果が得られる英語学習チャンネル

今、市販の教材を使わず、英会話教室に通わなくても、インターネット上にある沢山のコンテンツで言語学習をすることができる。その中で、YouTubeはほぼ無料で、どこでもいつでも利用できるというメリットがあるため、私はリスニングを練習する際に、YouTubeのチャンネルをよく使う。
YouTubeでは色々な英会話レッスンの動画が載せられているが、「Daily Dictation」が一番おすすめのサイトである。今日はこのチャンネルについてご紹介する。(「Daily Dictation」には有料版の「Daily Dictation Members [DDM]もあり、ビデオの中で加入の誘いもされているが、ここで紹介する無料版だけでも十分な学習効果がある。有料版の利用は各自の判断で。)

1.「Daily Dictation」は何であるか?
名前の通り、Daily Dictationはディクテーションを行うチャンネルであるが。外国語学習に効果的な「ディクテーション」の方法をご存じだろうか?「ディクテーション」もともとは書き取りの意味であるが、外国語学習につきリスニング力を鍛えるために読み上げられる外国語を書き取ることである。「ディクテーション」を行う際に、聞いた一語一語を書き取るために集中することで、リスニング力を上げるのに非常に効果がある。
Daily Dictationは、リスニングとリスニングの理解力を向上させたいESL(English as a second language、第二言語としての英語、またその話者)を対象としているチャンネルである。チャンネルの所有者は韓国に在住している40代のアメリカ人男性―Shaneである。Daily Dictationにおける動画の長さはほとんど10分~25分で、動画の公開コメント欄を見れば、世界各国の学習者から非常に良い評価を受けていると見られる。

2.「Daily Dictation」の内容
まず、ひとつの課題について、音声が4回流れる出題編と答え合わせと解説を行う解答編の2部に分かれている。解答編では、Shaneは音声のテキストを黒板に書き、そのテキストの内容について、詳細に説明してくれる。具体的に、ある単語の意味は何であるか、日常生活でどのように使うか、特定の単語と連結したら、発音がどのように変わるか(リンキング)をしっかり教えてくれる。その後、Shaneはテキストの内容について、自分の意見と考えを視聴者と共有していく。例えば、あるリスニングはアフリカの子どもの貧困に関わる内容であるから、Shaneはアフリカの子どもを救うため自分は何ができるかを考え、生活資源の無駄使いを反省した後、視聴者たちにアイデアや意見を求めたということがあった。動画の内容をよく理解したあと、Shaneと一緒に音声を聞き、シャドーイングして、音声の内容を復習する。
このようにして、新たな音声について、新しいディクテーションのトレーニングを以上のプロセスでやり続けていく。

3.「Daily Dictation」の特徴
一言でいえば、「Daily Dictation」の特徴とは、気軽に本場の英語が学べることである。毎日平均20分を利用しさえすれば、リスニング能力を向上させられると同時に、様々な知識が得られる。
また、Shaneはコメントの投稿を受け付けている。もし前日のリスニングの内容について、さらに議論したいことを、彼に投稿したら、あなたの質問あるいは意見が次回のレッスンで議論される可能性がある。
Daily Dictationの教材には英語レベルの表示がないが、教材により難易度はさまざまである。例えばトークショーの英語はかなりレベルが高く、反対に子供向けのアニメは若干簡単すぎることがある。ただし、たとえリスニングの内容を全く聞き取れなくても、その後のShaneの解説を聞いて、新しい知識を学ぶことができると思うから、時間の無駄とは言えないのではないだろうか。私は現段階で、負担に感じることなく、「Daily Dictation」の122Daysまで学んだ。いつの間にか、英会話を聞くとき、アメリカドラマを見るとき、会話について理解できる内容が増えてきたと感じている。

リスニング能力を向上させたい方々もぜひ「Daily Dictation」使ってみてください!

URL: https://www.youtube.com/user/dailydictation

(張碩)

应试学习中的短暂喘息,语言学习带给我的喜悦和快乐

我就读的高中除了英语之外还能选修第2外语。当时由于父亲从事对日贸易相关的工作,所以我也受其影响选了日语,在学校除了英语学习之外还会每周上一次日语课。由于日语课程和升学没有太大关系,所以课堂氛围和其他科目的教师主导的课堂不同。日语课上,老师经常经常会邀请日本外教与我们进行交流,或者组织我们排练文化节的话剧,氛围相对轻松。因此,即使我的日语成绩常年稳定在倒数第二位,在高中开设的所有课程中我仍然最喜欢日语,也喜欢说日语的自己。在学校经常用“半桶水”的日语和外教有一句没一句的搭话,周末时就在家看看日剧,模仿屏幕里人物的说话方式,无意识间开展着日语实践。尽管成绩很差,当时的我却对日语学习充满了信心,这样的心情现在我仍然觉得十分不可思议。

<享受日的“修”>

  我原来就喜欢英语,开始接触日语之后,对日语也开始抱有兴趣。因此在高二得知能有机会保送进入大学外语专业的时候,便下定决心想要一试,进入日语系对我来说也是一个不错的选择。当时在日语班上,有个朋友向我提议,好不容易学了一年,要不考个N2试试吧。于是在高中学习之余,考取日语资格,变成为了我的一大目标。从这时开始,高中的学业负担也开始逐步加重,我的日语学习就像见缝插针一样地进行着。当时我曾经持续半年,每天早晨早起1小时,在6:30到7:30的这段时间里在没有人的教学楼屋顶一个人学习日语。这段经历至今让我至今印象深刻。周末在家放松追剧的时候,我会一遍看剧一边写台词,后来竟把日剧“Cold Blue”一整部完整的台词都写到了笔记本上。现在回想起来,我甚至觉得有些不可思议懒散的自己竟然也能这么刻苦,但是高中的我却完全没有感觉到一丝疲惫。也就是从这个时期开始,我的日语突然开始突飞猛进。

<从日到走向更广的世界>

进入高3前的那个暑假,我考过了N2,高中十几个科目的学习和日语学习都有条不紊地进行着,成绩也都还可以。因此我对于高中整体学习的热情和自我效能感也提高了。进入高3之后,我在保送考试中顺利考上了第一志愿的外国语大学,离开了家乡,进入了北京某大学的日语专业。之后也发生了许许多多关于语言学习的故事,但是让我强烈感受到语言学习和自己密不可分的,还是这段高中语言学习的经验。

<语对我而言 >

对高中时期的我来说,日语学习当中几乎不存在由于考试压力而需要和他人进行横向比较的因素,取而代之的是在外教家里的圣诞派对、文化节的话剧演出、没有人的教学楼屋顶的朝阳等等充满喜悦、快乐和希望的经验。或许这正是我想要继续日语学习的原因。

我喜欢日语,并且甘愿在繁忙的高中学习里花费大量时间学习日语的原因,可能在于在填鸭式的被动学习为主的高中阶段,只有日语学习是我给自己设定的目标,是基于我个人意愿的决定。通过语言学习,习惯于被动学习的我第一次萌发了关于“自我”的意识,有了想要实现的目标,并且愿意在学校教育带来的种种约束的范围内为自己的目标而努力。对我来说,语言学习的经验带赋予了我远远超过语言学习本身的力量,至今仍然对我的学习和研究生活产生深远的影响。

(陳静怡)

 

受験勉強の合間にほっと一息、わたしにとっての言語学習の喜びと楽しみ

わたしにとって、言語学習は受験勉強の重圧が伴う学習と違い、バタバタしている日々の中に常に喜びと楽しみを与えてくれるものでした。このように感じているのは、高校での言語学習、特に日本語学習と深く関わっています。ここではわたしと日本語の出会いから、推薦入試で大学の日本語科に入るまでの経験を記述します。読者のみなさんが自らの経験と照り合わせ、自分にとっての言語学習は何かを深く考えることを通して、頑張れる力がみなぎることを祈ります。

<日本語との出会い>

わたしが通っていた高校では英語とは別に第2外国語が選べました。父が当時日中貿易の仕事をしていたこともあり、わたしは日本語を選び、英語とは別に日本語の授業を週1回受けるようになりました。日本語の授業は受験と関係ないため、先生が一方的に教え込む教科学習と異なり、日本語ネイティブの先生を招いたり、文化祭の日本語劇を準備したりすることが多く、常に自由とリラックスの雰囲気のもとで開講されていました。このため、日本語の成績がクラスの後ろから2番目でさまよっていたにも関わらず、高校の授業の中で、わたしは日本語の授業が最も好きで、日本語を喋る自分のことも好きでした。学校ではよくネイティブの日本語の先生と通じない日本語で喋ったり、週末には日本語のドラマを見て話し方を真似たりして、日本語実践を無意識の間でしていました。そして、不思議なことに日本語はきっとよくできるようになるという自信も抱えていました。

<日本語学習の「修行」を楽しむ>

英語はもともと好きで、日本語も好きになったため、高校2年の頃、わたしは推薦入試で大学に入ることを考えていました。特に、日本語学科も悪くはないと思いました。当時第2外国語の日本語クラスでは、せっかく1年くらい学習してきたのだから高校卒業までに日本語能力試験のN2の資格が欲しいという友達がいたので、わたしもN2を目指していました。ほかの教科学習も徐々に忙しくなったため、日本語学習は隙間を縫う感じで行っていました。早起きして6時30分から7時30分まで1時間、誰もいない高校の屋上でN2の試験勉強を半年くらい続けたことは今でも印象深いです。週末にドラマを楽しむ時も、見ながらセリフを書くようになり、気づいたら、なんと「コード・ブルー」のセリフは全部ノートに書いていました。今振り返ってみると、相当大変なことでしたが、当時は全然疲れを感じていませんでした。この頃から、急に周りの人が信じられないほど日本語が上手になりました。

<日本語学習から広がる世界>

高3に入る直前の夏休みに私はN2に受かり、高校の十数科目と日本語学習、両方のバランスがよく保たれていたと感じたため、学習全体に対するモチベーションや自己効力感も上がりました。高3に入った後、私は推薦入試で無事に第一志望の外大に受かり、故郷の地方都市から離れ、北京にある大学の日本語科に入りました。その後も言語学習に関するいろいろなエピソードがありましたが、わたしが自らと言語学習との関わりを強く感じたのはこの高校時代の経験でした。

<わたしにとっての日本語学習>

高校時代のわたしにとって、日本語学習は、受験競争のように他者との横断的な比較という要素が少なく、その代わりに、ネイティブ教師のマンションでのホームパーティー、文化祭の日本語劇、学校の屋上の朝日の中での学習といった経験に満ちており、いつも喜びと楽しみ、そして希望に満ちていたため、頑張りたいと思ったのかもしれません。

わたしの日本語が好きになった理由、忙しい受験勉強の日々を過ごしながらも日本語学習に時間を費やした理由はおそらく、押し付けられた学習が中心だった高校時代、日本語学習だけがわたしの自ら見つかった目標で、自分の意思で決めたことだったからと思います。言語学習を通して、受動的な学習をしてきたわたしは初めて「自己」に関する意識に気づき、自分が叶えたい目標を持ち、学校教育の枠組みの中で自らの目標のために頑張ることができました。このように、わたしにとって、言語学習の経験は言語そのものの学びを超えた力を与えてくれているものであり、今でもわたしの学習と研究全般に影響をもたらしています。

(陳静怡)

중국어와 나

내가 중국어를 처음 접한 것은 초등학교 2학년 때였다. 교육열이 강한 아버지의 영향을 받아 중국인 유학생에게 중국어를 배우게 된 것이다. 한자도 제대로 쓰지 못했던 어린 나는 자신이 왜 중국어를 공부해야 하는지 궁금해한 적도 있다. 그 당시는 병음(중국어 발음표기법)을 외우거나 일상생활에서 사용되는 단어를 배웠다. 내가 “你好(안녕하세요)”라는 인사 다음으로 배운 단어는 “冰淇淋(아이스크림)”이였고, 그 당시는 교과서에 나오는 기초단어보다는 자신이 궁금한 단어를 공부했다고 할 수 있다. 단어를 외우기 위해 나만의 단어장을 만들어 주제별로 정리하는 것에 재미를 느꼈다. 또 당시(唐詩)를 외우거나 중국 동요도 배웠다. 어린 나이에도 불구하고 새로운 언어를 나름대로 즐겁게 배웠던 것 같다.
본격적으로 중국어를 배우게 된 것은 대학생 때였다. 대학교에서 중국어를 전공하여 중국어 문법을 체계적으로 배우고 싶다는 생각이 들었기 때문이다. 사회에 나가서 써도 될 만한 바른 문법의 중국어를 습득하고 싶었다. 중국어 문법은 일본어와 비교했을 때 비교적 간단한 느낌이 들었다. 그것은 활용표현이 없다는 점이 가장 큰 이유라고 볼 수 있다. 부정형에는 “不” , “没”라는 어휘를 붙이면 되었고, 과거를 표현할 때도 기본적으로는 “了”라는 어휘를 문장 끝에 붙이면 된다. 동사에 따라 활용 방법이 다른 일본어와 비교하면 중국어 문법은 아주 쉽게 습득할 수 있었다.
대학교 수업에서는 주로 “읽기・쓰기”를 배웠고, “듣기・말하기”는 수업 외에서 보충했다. 먼저 “듣기”에 관해서는 중국 드라마나 영화를 보며 공부를 했다. 드라마나 영화에 나오는 중국어는 말하기 속도가 빨라 따라가지 못했기 때문에 몇 번이나 되돌리며 보았다. 또 중국어 자막을 보면서 내용을 이해하려고 노력했다. 마음에 든 표현이나 이해가 어려웠던 부분은 바로바로 적어 놓았다. 내가 즐겨보던 드라마는 일본에서 제작된 “꽃보다 남자”의 대만판 “流星花園”이다. 일본판을 본 적이 있어 드라마 내용은 이미 어느 정도 이해를 한 상태였기 때문에 주인공들의 대화에 더욱 집중할 수 있었던 것 같다. 드라마를 통해 수업에서는 접할 수가 없는 젊은이들의 일상표현도 배울 수 있었으며 이러한 학습법은 좋은 동기부여가 되었다. 그리고 대만에서 사용되는 중국어는 표준어(普通话)와는 약간의 차이가 있으며 중국어의 다양성에 대해서도 알 수 있었다.
“말하기”에 관해서는 중국어를 할 수 있는 친구와 적극적으로 중국어로 이야기하려고 노력했다. 또 수업이나 드라마에서 배운 단어나 표현들이 실제로 어떤 상황에서 사용되고 있는지 더욱더 리얼한 중국어를 습득하려고 했다. 자신의 중국어가 완벽하지 않아 창피하게 느낄 때도 있었지만 되도록 신경을 쓰지 않으려고 했던 것 같다.
어렸을 때부터 중국어를 배워 왔기 때문에 중국어 발음이 어렵다고 느낀 적은 없다. 하지만 가끔 일본어 한자와 중국어 한자의 뜻이나 표기 방식이 달라 혼란스러울 때가 있었다. 예를 들어, 중국어의 “走”는 “걷다”라는 뜻이 있지만, 일본어가 모어인 사람이라면 “달리다”의 뜻을 연상하지 않을까 하는 생각이 든다. 또 일본어 “歩”라는 한자는 중국어로 “步”와 같이 표기되며 그 차이를 알아차리기 어렵다. 새로운 언어학습에 모어가 자연스럽게 간섭된다는 것이 이러한 부분에서도 확인된다.
하지만 나는 중국어를 공부할 때 이와 같은 미묘한 차이를 즐기면서 공부하였다. 신기하다, 왜 그렇게 될까 하고 느끼는 것을 항상 긍정적으로 유연성 있게 흡수해 왔던 것 같다. 또한, 중국어로 누군가와 통했을 때 아주 뿌듯한 마음이 들었고 학습 의욕도 향상하였다. 모어와의 차이를 생각하며 즐겁게 배우는 것, 또 그 언어를 통해서 다른 사람들과 이어지는 경험은 언어학습에 있어서 아주 중요하다고 느끼는 점이다.

(太田真実)

中国語と私

 私が中国語に初めて触れたのは、小学校2年生の時である。教育熱心だった父の影響により、知り合いの中国人留学生に中国語を教わることになった。漢字もまともに書けなかった私は、なぜ中国語を勉強しているのかと疑問に思ったこともある。当時は、ピンイン(中国語の発音表記法)を覚え、日常生活で使用される単語を暗記した。「你好(こんにちは)」の次に覚えた単語は「冰淇淋(アイスクリーム)」であり、その時は、基本単語の暗記というよりかは、自ら気になる中国語の単語を暗記していた。暗記する際は、オリジナルの単語帳を作成して、カテゴリー別に整理しながら勉強するのが好きだった。また、唐詩を暗記したり、中国の童謡も覚えたりもした。幼少期ながらに新しい言語を楽しく勉強していたといえる。
 中国語を本格的に勉強し始めるようになったのは、大学生の頃である。大学で中国語を専攻したのは、これまでの中国語学習はどちらかというと遊び感覚だったため、文法もきちんと勉強したうえで社会に出ても使える中国語を身に付けたいと思ったからである。中国語の文法は日本語と比較した際、やや簡単である印象を受けた。それは、中国語には活用表現がないことが最も大きな要因だと考えられる。否定を表す際は、「不」や「没」という語を動詞や形容詞の前につければよかったし、過去を表す際も基本的には「了」という語を文末につければ、それらの意味を表すことができた。動詞によって活用の仕方が異なる日本語に比べれば、とても簡単に文法を身につけることができると思う。
 大学の授業では主として「読む・書く」を勉強し、「聞く・話す」は授業外で補っていた。まず「聞く」ことに関しては、中国のドラマや映画をみながら勉強した。ドラマや映画で流れる中国語は、とても早くてついていけなかったため、停止と再生ボタンを繰り返し押しながら見た。また、中国語の字幕がつけられていたため、その字幕を追いながら理解するように努めた。気に入った表現や、分からない表現があれば随時メモを取っていた。私が好んでみたドラマは、日本で制作された「花より男子」の台湾版「流星花園」である。すでに日本版を見たことから内容を知っており、かれらが交わす会話により集中することができた。また、授業ではあまり触れられない若者の日常表現も学ぶことができ、この勉強方法は中国語学習のモチベーションアップにもつながったといえる。さらには、台湾で話される中国語は、標準語(普通话)とはやや異なる発音もみられ、中国語の多様性 を知ることにもつながった。
 「話す」ことにおいては、中国語を話す友達 と積極 的に中国語を使用しようと努力した。また、授業やドラマで学んだ単語やフレ ーズが実際どのような場面 で使われるのかなど、リアルな中国語を身に着けようとした。拙い中国語で、間違 えることを恥ずかしいと思ったこともあるが、そのようなことはあまり気にせず、中国語話者と話していたと思う。
 中国語と初めて出会ったのが小学生で、その時からピンインを学んでいたためか、発音が難しいと感じたことはあまりない。しかし時々、日本語の漢字と中国語の漢字の意味が異なることや、日本の漢字と中国の漢字(簡体字)とで混乱 するなど、様々 な困難 があった。 例えば、中国語の「走」は「歩く」という意味を持つ。日本語母語話者なら、「走る」を 連想しがちであり、混乱 を招きかねない。また、日本語の「歩」という漢字を中国語では、「步」のように書き、やや異なっている。どの言語にも当てはまることだが、新たな言語学習において、自然と母語が干渉してしまうことがあることがここでも分かる。 私は中国語を勉強する際、上で述べた 微妙 な違いを楽しみながら勉強した。不思議だな、どうしてそうなるのかと感じることをマイナスに捉えず、常にポジティブに柔軟 に吸収 していたのかもしれない。また、中国語を通して誰かとつながることができた時、とても幸せな気 持ちになり、学習のモチベーションも向上した。 母語との違いに気づき、楽しく学ぶこと、さらにその言語を通して他者とつながる経験は、言語学習を行う際に私が重要であると感じている点である。

(太田真実)