夏休みの終わりの、日本語との出会い

「なぜ日本に留学されたのですか」という質問は日本に来てから何度も何度も聞かれました。私はいつも「中学生の頃、日本のドラマを初めて見ました。その時から、日本で生活してみたいなぁと思いました」と正直に答えていました。
 15歳の夏休みの終わりに、家でごろごろしていた私は偶然にテレビで放送された日本ドラマ「1リットルの涙」を見ました。この悲しい物語に心を揺れ動かされ、涙が止まらなくなってしまいました。もし日本語が話せたら、このドラマについての理解がより深くなると感じました。そのような熱意を持って、日本語の五十音図から日本語を独習し始めました。
 高校に入ってから、学業が忙しくなったため、日本語の学習も五十音レベルにとどまりましたが、休みの日に、中国語の字幕がついた日本のドラマを観るのは一番楽しいことになりました。その時、中国の字幕を付けなければ劇中の会話は聞いてもほとんど理解できなかったのですが、私は疲れを感じることなく、手帳のようなノートに好きな歌詞や台詞をたくさん書いて暗記しました。例えば、一番好きな日本ドラマ「ロングバケーション」での、主人公瀬名のセリフ「何をやってもうまくいかないときは、神様がくれた長い休暇だと思って、無理に走らない、焦らない、頑張らない、自然に身を委ねる」はどんな時に聞いても、癒し効果があると思いました。日本ドラマをはじめ、日本語の曲も、日本の小説も、日本語は私の友達のように、忙しく充実した日々でずっとそばにありました。
瞬く間に時間が過ぎ、高校3年の努力が実って、私は近所の大学に入りました。ずっとジャーナリストに憧れていたため、ジャーナリズム学科を選びました。受験競争が激しい高校と違い、自由度が高い大学では、専門知識を学ぶ以外に、日本語を勉強する時間もたっぷりありました。その時から、私は毎晩日本のドラマを観たり、歌を聞いたりして、日本に留学したい、日本で生活してみたい、ドラマの主人公が住んでいる場所を見に行きたい、昭和風の喫茶店でコーヒーを飲みたいというような思いが日々に強くなりました。留学の資格を取るため、私はN2(日本語能力試験2級)にチャレンジしました。残念ながら合格点には6点足りず不合格でした。気分が落ち込んでいましたが、冷静に振り返ると、その時の私は、日本語が好きなのに、真剣に本格的に日本語を学んだことが全くなかったことに気がつきました。自分の過ちを反省した上で、一年後の試験の合格を目標とし、一連の学習計画を作りました。まず、オンラインレッスンを受け、日本語の語彙、文法の勉強を続けました。次に、常に日本語のニュースを読んで、日本語の読解力を高めるとともに、日本文化や日本の物事に関する知見も蓄積していきました。さらに、生きた日本語を学ぶために、日本語のドラマを観る以外、週1回、日本語学科の日本人の先生の授業を聴講して、生の日本語に慣れるように努力しました。それをきっかけに、日本語学科の友達ができて、日本語に関する質問をよく解説してもらいました。それらの地道な努力や友達の助けによって、一年後の試験でN2に、やっと合格できました。ただし、日本語にずっと趣味や情熱を持っていましたから、深夜まで日本語の単語や文法を暗記することや、一つのニュースを何十回も聞いたことなど、私にとって辛い記憶とは言えません。
 卒業してすぐ日本へ留学して、今は日本に来てもう7年になりましたが、日本ドラマ、小説や音楽に対してずっと消えない情熱を持っています。そして、幸運にも、その時にできた友達もずっと日本にいて、食事に出掛けるとか、バンドのコンサートに行くとか、日本語のように、ずっとそばにいます。
 15歳の時の外出したくない、寝たくないと思い日本ドラマを一気に見ていた夏休みを一生忘れないと思います。

(張碩)