受験勉強の合間にほっと一息、わたしにとっての言語学習の喜びと楽しみ

わたしにとって、言語学習は受験勉強の重圧が伴う学習と違い、バタバタしている日々の中に常に喜びと楽しみを与えてくれるものでした。このように感じているのは、高校での言語学習、特に日本語学習と深く関わっています。ここではわたしと日本語の出会いから、推薦入試で大学の日本語科に入るまでの経験を記述します。読者のみなさんが自らの経験と照り合わせ、自分にとっての言語学習は何かを深く考えることを通して、頑張れる力がみなぎることを祈ります。

<日本語との出会い>

わたしが通っていた高校では英語とは別に第2外国語が選べました。父が当時日中貿易の仕事をしていたこともあり、わたしは日本語を選び、英語とは別に日本語の授業を週1回受けるようになりました。日本語の授業は受験と関係ないため、先生が一方的に教え込む教科学習と異なり、日本語ネイティブの先生を招いたり、文化祭の日本語劇を準備したりすることが多く、常に自由とリラックスの雰囲気のもとで開講されていました。このため、日本語の成績がクラスの後ろから2番目でさまよっていたにも関わらず、高校の授業の中で、わたしは日本語の授業が最も好きで、日本語を喋る自分のことも好きでした。学校ではよくネイティブの日本語の先生と通じない日本語で喋ったり、週末には日本語のドラマを見て話し方を真似たりして、日本語実践を無意識の間でしていました。そして、不思議なことに日本語はきっとよくできるようになるという自信も抱えていました。

<日本語学習の「修行」を楽しむ>

英語はもともと好きで、日本語も好きになったため、高校2年の頃、わたしは推薦入試で大学に入ることを考えていました。特に、日本語学科も悪くはないと思いました。当時第2外国語の日本語クラスでは、せっかく1年くらい学習してきたのだから高校卒業までに日本語能力試験のN2の資格が欲しいという友達がいたので、わたしもN2を目指していました。ほかの教科学習も徐々に忙しくなったため、日本語学習は隙間を縫う感じで行っていました。早起きして6時30分から7時30分まで1時間、誰もいない高校の屋上でN2の試験勉強を半年くらい続けたことは今でも印象深いです。週末にドラマを楽しむ時も、見ながらセリフを書くようになり、気づいたら、なんと「コード・ブルー」のセリフは全部ノートに書いていました。今振り返ってみると、相当大変なことでしたが、当時は全然疲れを感じていませんでした。この頃から、急に周りの人が信じられないほど日本語が上手になりました。

<日本語学習から広がる世界>

高3に入る直前の夏休みに私はN2に受かり、高校の十数科目と日本語学習、両方のバランスがよく保たれていたと感じたため、学習全体に対するモチベーションや自己効力感も上がりました。高3に入った後、私は推薦入試で無事に第一志望の外大に受かり、故郷の地方都市から離れ、北京にある大学の日本語科に入りました。その後も言語学習に関するいろいろなエピソードがありましたが、わたしが自らと言語学習との関わりを強く感じたのはこの高校時代の経験でした。

<わたしにとっての日本語学習>

高校時代のわたしにとって、日本語学習は、受験競争のように他者との横断的な比較という要素が少なく、その代わりに、ネイティブ教師のマンションでのホームパーティー、文化祭の日本語劇、学校の屋上の朝日の中での学習といった経験に満ちており、いつも喜びと楽しみ、そして希望に満ちていたため、頑張りたいと思ったのかもしれません。

わたしの日本語が好きになった理由、忙しい受験勉強の日々を過ごしながらも日本語学習に時間を費やした理由はおそらく、押し付けられた学習が中心だった高校時代、日本語学習だけがわたしの自ら見つかった目標で、自分の意思で決めたことだったからと思います。言語学習を通して、受動的な学習をしてきたわたしは初めて「自己」に関する意識に気づき、自分が叶えたい目標を持ち、学校教育の枠組みの中で自らの目標のために頑張ることができました。このように、わたしにとって、言語学習の経験は言語そのものの学びを超えた力を与えてくれているものであり、今でもわたしの学習と研究全般に影響をもたらしています。

(陳静怡)