「私の春節」

 記憶の中にある春節は、いつも賑やかさに満ちている。小正月*を過ぎると、街は瞬く間に春節の雰囲気で包まれる。通りには赤い提灯や華やかな飾りが吊るされ、市場には年貨(年越し用品)を買い求める人々で賑わう。

 子供の頃、一番心待ちにしていたのは「年飯」だった。それは、親戚と賑やかに過ごせるからではなく、一年で最も豪華な料理が並ぶからだ。春節を前に、両親は親戚や友人をたくさん招いて、特別な宴を催していた。この春節前の集まりが、いわゆる「年飯」と呼ばれるものだった。食卓では、大人たちが一年を振り返り、嬉しい話題になると手振り身振りを交えて語り合っていた。その隣で、私はそっと大人たちが杯を交わす隙を見計らい、ご馳走をつまみ食いするのが常だった。春節が来るたびに少し太ってしまうのは、きっとこのせいだろう。

 「年飯」の時期が過ぎると、いよいよ春節本番だ。大晦日になると、両親に連れられて故郷に帰り、春聯*を貼ったり、「福」の字を飾ったりする準備に追われる。その中でも特に重要だったのが、すべての窓に「太公在此」と書かれた赤い紙を貼ることだ。父によれば、「太公」とは姜太公のことで、民間信仰では仙人として敬われているという。窓は鬼やお化けが侵入しやすい場所とされているため、そこに姜太公の名前を書いた赤い紙を貼ることで、鬼たちを遠ざけることができるのだそうだ。幼い私は鬼が大の苦手だったので、この作業にはいつも真剣に取り組んでいた。

 大晦日の夜は、家族全員で「春節聯歓晩会」*、略して「春晩」を観るのが恒例だった。子供だった私は、大人たちと一緒に見る春晩が大好きだった。特に面白いコントが放送されると、父がその台詞を真似て私を笑わせてくれたことをよく覚えている。しかし、時が経つにつれて春晩はつまらなくなり、大人たちも観るのをやめて麻雀をして過ごすようになった。春晩が面白くなくなると、子供たちも退屈そうにしていた。

 夜の12時の鐘が鳴り、春晩が終わる頃、本当の賑わいが始まる。新しい年の最初の時刻には、どの家でも用意していた爆竹を鳴らし、祝祭ムードが一気に高まる。裕福な家では花火も上げられ、その音があちこちから響き渡る。夜空に咲く鮮やかな花火の光景は、言葉では言い表せないほど美しい。

 新年の初日は早起きが欠かせない。「拜年」(新年の挨拶)をしなければならないからだ。村中を回って親戚や友人の家を訪ね、一軒一軒の扉を叩いて「新年快楽!(あけましておめでとうございます)」と笑顔で挨拶する。訪れた家では、温かく迎えられ、キャンディやヒマワリの種が振る舞われる。時には一緒に食事をするよう誘われるが、「まだ他の家にも挨拶しなければならないので、これで失礼します!」と言って次の家へ急ぐのだ。疲れることはあっても、たくさんのお菓子を食べ、「紅包」(お年玉)をもらえる楽しみがあり、次の家に行くのが待ち遠しかった。こうして美味しい料理と賑やかな新年の挨拶に包まれながら、春節の雰囲気が濃くなり、やがて静かに消えていく。

 2025年の今、村の春節の雰囲気は昔ほど濃厚ではなくなったように思える。都会に移り住んだ若者たちは、春節に帰ってくることが少なくなり、人口の減少とともに春節の活気も薄れてしまった。それでも、私の心の中で春節の記憶は今も色褪せることがない。それは賑やかで、美味しく、村の隅々にまで溶け込んでいたものなのだから。

李恒聡

注:
*小正月(小年) :年越し準備の日。日本のお正月準備や大掃除に似ている。
*春聯(春联) :赤い紙に縁起の良い詩句を書き、家の門の両側に飾るもの。
*春節聯歓晩会(春節联欢晚会) :紅白歌合戦のような、家族で楽しむ年越し番組。