前回のコラムにて、インドネシア語もバリ語もわからない状況に置かれた私は、辞書を片手に黙したと書いた。その理由だが、大きく分けて2つあった。1つ目は単純に話すことができないということと、2つ目は周囲の言葉を聞くことに徹していたからだ。この作業をする際に、私はバリ語とインドネシア語という2つの言語のどちらを優先して習得するかを決めなければいけなかった。
そこで私は、基本的にはインドネシア語を優先的に習得するようにした。なぜなら私に対して多くのインドネシア人はインドネシア語で話しかけ、多少わからなくても辞書等で参照できたためである。また、単純に文法や語彙がバリ語と比べて簡単だったので習得が容易だと判断したためである。
例えばインドネシア語で「enak(エナック)」という言葉がある。辞書通りの意味合いなら、「おいしい」なのだが、日常的には「いいね!」という意味合いで食事以外にも頻繁に使用する。靴や服のセンスを褒める時、状況が自分にとって好都合なものに関しても「enak」という言葉を使用する。そして、現地のひとびとが私の物を指さし、「enak」というのをどのように口調で使っているのかもジッと見て聞いていた。もちろんこの言葉はポジティブな意味合いが強いので、和気あいあいとした場面で、明らかに私をおだてるように使用する。そして最後に、その様子も込みで、「enak」という言葉をこちらから使用してみて、自分の使い方がおかしくないかを確認する。
もちろん、これは「enak」に限ったことだけではなく、同時並行で膨大な数の単語やコロケーションを覚えていった。朝食の場面や会議の場面等で過去に現地の人々が使用していた言葉をそっくりそのまま述べていくのである。つまり、過去に遭遇した同一場面のインドネシア人と同じようにふるまうことを意識したのである。もちろん、その意味はある程度は辞書で調べることができるが、どのようなまとまりで話すべきなのかは過去の記憶に沿って話している。相手の反応が特に悪くなければ、そのまま深く調べず新たな場面での言語習得に努めていった。このようなざっくりしたやり方なので、どこまでがインドネシア語の表現で、どこからがバリ語独特の表現であったのかはいまだに整理ができていない。
また、儀礼に参加する際によく聞くバリ・ヒンドゥーの儀礼にかかわる言葉に関しては、そういうものかという認識でとどめ、厳密に日本語で対訳を求めることをやめた。例えば、「tilem (新月)」という言葉がある。この言葉は暦の上での新月の日を表すものでもあるが、tilemに関わる式典や、その準備に関わることも指す。とにかく意味が「新月」という概念よりも広いのである。その際に、どこまでの行為が「tilem」の概念に入るのか、入らないのかまでは追及しなかった。
このような方法でインドネシア語とバリ語を習得した私だが、この方法だからこその失敗談もある。
バリ語での失敗エピソードなのだが、ある日、ある教員の真似をしてバリ語で「ご飯を食べる」という言葉を話してみたが、どうも周囲の教員の反応がおかしい。何か間違ったかしらと思っていたのだが、言葉自体は間違っていなかった。しかし、「私が」使うのが間違っていたのであった。
私はバリでkadek mayumiと呼ばれていて、kadekは次女という意味だが、ただ次女であるだけでなく、平民の次女であることを指す。だから私は平民の使うバリ語を話さなくてはいけないのだが、件の教員が発した「ご飯を食べるは」王族階級の表現だったのだ。つまりその教員は王族階級であったのだ。私が誤って王族階級の言葉を使用したのは、他意はないと周囲の教員は理解してくれていたが、今後使用を続ければ私にとって不利益となると考えたバリ語の教員が、なぜ私が使用すると誤りなのかを、易しいインドネシア語で丁寧に説明をしてくれた。その時、安易に言語を真似たことを反省するとともに、kadekとして周囲の人々が認識し、私がバリの文化の中に溶け込めるように手助けしてくれることが嬉しかった。この時だけではなく、赴任期間中、公的な場面では教員たちが、プライベート場面では大家夫妻が、私が誤った使用をした際には、どういう意味なのか、どういう言葉が正解なのかを教えてくれた。
様々な失敗は何度か犯したものの、周囲の助けを得ながら私はインドネシア語と若干のバリ語の言語獲得を赴任期間中順調に進め、最終的には業務連絡程度であれば難なく応答できるようになった。言語を習得すること自体も楽しかったが、言語を習得する中で周囲の人たちとの絆が深まりを感じるのも、現地で言葉を獲得する際の醍醐味だった。
(岡田茉弓)